福井地方裁判所武生支部 昭和51年(ワ)67号 判決 1980年1月30日
原告
池田運輸有限会社
ほか四名
被告
高橋三次
ほか四名
主文
被告柴田慶一は原告池田運輸有限会社に対し、金七三一万四六五〇円および内金六八一万四六五〇円に対する昭和五一年五月一六日から、内金五〇万円に対する本判決言渡しの日の翌日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。
被告柴田ミサは被告柴田慶一と連帯して原告池田運輸有限会社に対し、右金員のうち金三六五万七三二五円および内金三四〇万七三二五円に対する昭和五一年五月一六日から、内金二五万円に対する本判決言渡しの日の翌日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。
被告柴田慶一は原告武田真由美に対し、金七二〇万七七八二円および内金六八七万四四四九円に対する昭和五一年五月一六日から、内金三三万三三三三円に対する本判決言渡しの日の翌日から各完済まで年五分の割合による金員、原告武田雅弘、同武田弘和、同武田こずゑに対し、各四八〇万五一八八円および各内金四五八万二九六六円に対する昭和五一年五月一六日から、各内金二二万二二二二円に対する本判決言渡しの日の翌日から各完済まで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
被告柴田ミサは被告柴田慶一と連帯して右金員のうち、原告武田真由美に対し金三六〇万三八九一円および内金三四三万七二二四円に対する昭和五一年五月一六日から、内金一六万六六六六円に対する本判決言渡しの日の翌日から各完済まで年五分の割合による金員、原告武田雅弘、同武田弘和、同武田こずゑに対し各金二四〇万二五九四円および各内金二二九万一四八三円に対する昭和五一年五月一六日から、各内金一一万一一一一円に対する本判決言渡しの日の翌日から各完済まで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
原告らのその余の請求はいずれもこれを棄却する。
訴訟費用は、原告池田運輸有限会社と被告柴田慶一、同柴田ミサとの間においては、同原告に生じた費用の四分の三を同被告らの負担とし、その余は各自の負担とし、同原告と被告高橋三次、同佐藤カツ子との間においては、全部同原告の負担とし、原告武田真由美、同武田雅弘、同武田弘和、同武田こずゑと被告柴田慶一、同柴田ミサとの間においては、同原告らに生じた費用の五分の四を同被告らの負担とし、その余は各自の負担とし、右原告武田真由美ら四名と被告高橋三次、同佐藤カツ子、同山王運輸株式会社との間においては、全部同原告らの負担とする。
この判決は、原告池田運輸有限会社、同武田真由美において各金三〇万円、原告武田雅弘、同武田弘和、同武田こずゑにおいて各金二〇万円の担保を立てたときは、当該原告の勝訴部分に限り、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求める裁判
一 原告ら
1 被告高橋三次、同柴田慶一、同柴田ミサ、同佐藤カツ子(以下それぞれ「被告高橋」、「被告慶一」、「被告ミサ」、「被告佐藤」という。)は連帯して原告池田運輸有限会社(以下「原告会社」という。)に対し、金一〇〇八万三一三三円およびこれに対する昭和五一年五月一六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告らは連帯して原告武田真由美(以下「原告真由美」という。)に対し、金九一〇万七五三八円および内金八四四万〇八七二円に対する昭和五一年五月一六日から、内金六六万六六六六円に対する被告高橋については昭和五二年六月一一日から、被告慶一、同ミサ、同山王運輸株式会社(以下「被告会社」という。)については同年同月一二日から、原告佐藤については同年同月一四日から各完済まで年五分の割合による金員ならびに原告武田雅弘、同武田弘和、同武田こずゑ(以下それぞれ「原告雅弘」、「原告弘和」、「原告こずゑ」という。)に対し、各金六〇七万一六九二円および各内金五六二万七二四八円に対する昭和五一年五月一六日から、各内金四四万四四四四円に対する被告高橋については昭和五二年六月一一日から、被告慶一、同ミサ、被告会社については同年同月一二日から、被告佐藤については同年同月一四日から各完済まで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
3 訴訟費用は被告らの連帯負担とする。
4 仮執行の宣言
二 被告ら
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二当事者の主張
一 原告らの請求の原因
1 事故の発生
左記交通事故が発生した。
(一) 事故発生日時 昭和五一年五月一五日午前七時一五分ころ
(二) 事故発生場所 福井県南条郡河野村具谷具谷第一トンネル内
(三) 加害車両運転者 亡柴田久男(以下「亡久男」という。)
(四) 加害車両 普通貨物自動車(登録番号秋一一さ七三七三)
(五) 被害車両運転者 亡武田政雄(以下「亡武田」という。)
(六) 被害車両 大型貨物自動車(登録番号福井一一か一二八四)
(七) 事故の態様
法定の追越し禁止場所となつているトンネル内で、南進中の加害車両が前方の交通の状況を注意しないまま漫然と追越しを開始したため折から対向してきた亡武田運転の被害車両と正面衝突した。
(八) 事故の結果
原告会社の所有する被害車両は大破され、修理不能の程度に毀損された。
加害車両の運転者亡久男と同車両の同乗者亡大日向弘(以下「亡大日向」という。)は即死し、被害車両の運転者亡武田は中村病院に収容後死亡し、同車両の同乗者野崎博は頭部外傷Ⅱ型等の傷害を受け昭和五一年九月二一日まで同病院に入院した。
2 責任原因
(一) 亡久男の責任
亡久男は、被告慶一を父とし、被告ミサを母とする夫婦の長男として昭和三三年八月一日出生し、本件事故発生当時定時制高等学校に在学中の未成年者であつたが、無免許運転をなし、かつ、居眠りしながら適正進路を保持することなく対向車線に進入して運転したため、被害車両と正面衝突したものであるから、亡久男には本件事故発生について重大な過失が存在し、同人は原告らに対し民法七〇九条に基づく損害賠償責任がある。
(二) 被告高橋の責任
(イ) 被告高橋は、高橋運送店の商号にて自動車運送事業を営む免許業者であるが、無免許業者である被告慶一に対し高橋運送店湯沢営業所所長という名称で営業名義を貸与のうえ運送事業を許諾し、いわゆる闇運送をさせていたものであり、かつ、加害車両の運転手であつた亡大日向に関しても被告高橋名義にて労災保険の成立届出がなされていて、本件事故により労災保険金の支払もなされている。
(ロ) さらに、被告高橋は、被告慶一に対し加害車両のほか高橋運送店の名義を表示した貨物自動車(登録番号大宮一一あ七九九)あるいは被告高橋保有名義の貨物自動車(登録番号埼一一あ六九九〇)を使用収益させ、外観上、営業名義の使用を許諾していた。
(ハ) よつて被告高橋は、闇運送の名義貸与者として被貸与者である被告慶一に対し事故の発生を未然に防止するよう指導監督すべき責務を有しているので、原告会社に対し民法七一五条に基づく損害賠償責任を負担すべきである。
(ニ) また、被告高橋は、加害車両につき運行利益と運行支配を享受していたので、運行供用者として、原告真由美、同雅弘、同弘和、同こずゑ(以下右各原告を総称して「原告真由美ら四名」という。)に対し自賠法三条に基づく損害賠償責任を負担すべきである。
(三) 被告慶一の責任
(イ) 被告慶一は、被告高橋から自動車運送事業に関する営業名義の貸与を受け、高橋運送店湯沢営業所の商号を用い、亡大日向のほか佐藤某、伊藤某ほか一名を雇傭していわゆる闇運送を営み、主として被告高橋が埼玉県から秋田県に運送すべき貨物の下請運送業務に従事していたものである。
(ロ) 亡大日向は、右運送業務の遂行過程中に本件事故を発生させたものである。
(ハ) 亡大日向には、本件事故の発生につき次のとおり過失がある。
すなわち、亡大日向は、同乗中の亡久男において自動車の運転技術が拙劣であつたのであるから、同人に運転を交代すれば必ず交通事故が発生することを予見すべきであるのに、これを怠り、漫然同人と運転を交代した結果、本件事故を惹起したものであり、運転を交代したこと自体に重大な過失が存在する。仮に亡大日向が亡久男と運転を交代したこと自体に過失がないとしても、亡大日向が無免許運転者である亡久男に運転を交代することは明らかに違法であるので、亡久男の過失即亡大日向の過失と同視されるべきであるところ、亡久男には前記(一)のとおり過失があるから、亡大日向にも右と同一の過失があるというべきである。仮に亡大日向が亡久男と運転を交代したことが何らかの理由によつて許容されるとしても、亡大日向は、職業運転手として安全運転を確保すべき法律上の注意義務を負担しているところ、本件事故の発生につき右注意義務違背が存在する。
(ニ) よつて被告慶一は、原告らに対し民法七一五条に基づく損害賠償責任を負担すべきである。
(四) 被告慶一、同ミサの責任
(イ) 被告慶一、同ミサは、亡久男の監督義務者であるが、本件事故前の昭和五一年中、就学中の亡久男を湯沢市から東京都まで片道四五〇キロメートルの区間、亡大日向運転の貨物自動車の助手として同車に乗車させたりして無免許運転を助長し、さらに本件事故のときも、亡久男を湯沢市から徳島市まで片道一二〇〇キロメートルの区間、亡大日向運転の貨物自動車の助手として同車に同乗させて無免許運転を助長し、道路交通上の危険を発生させたものであるから、同被告らには監督義務違反があり、右監督義務違反と本件事故発生との間には相当因果関係が存在する。したがつて、被告慶一、同ミサは、原告らに対し民法七〇九条に基づく損害賠償責任を負担すべきである。
(ロ) 仮に右(イ)の主張が認められないとしても、亡久男には前記(一)のとおり原告らに対し民法七〇九条に基づく損害賠償責任があるところ、同人は本件事故発生後約五分間を経て事故現場で死亡したので、被告慶一、同ミサは、民法八八九条一項に基づき、亡久男の右損害賠償債務を二分の一宛相続により承継した。
(五) 被告佐藤の責任
被告佐藤は、加害車両の登録名義人であるので、同車両の所有者であることが推定されるところ、同被告は、千代田火災海上保険株式会社と自賠責保険契約をなして加害車両を被告慶一に貸与し、闇運送の幇助をしていたものであるから、原告会社に対しては民法七一五条に基づく損害賠償責任を負担すべきであり、原告真由美ら四名に対しては運行供用者として自賠法三条に基づく損害賠償責任を負担すべきである。
(六) 被告会社の責任
(イ) 被告会社は、自動車運送事業の営業名義を有する免許業者であるが、平野井木材から運送申込みを受けた建材約五トンを湯沢市から徳島市まで運送するに際し、被告慶一が闇運送を業とする無免許業者であることを熟知しながら、同被告に右運送の下請を委託したところ、被告慶一は被用者である亡大日向に加害車両の運転を指示し、運送業務を遂行中、亡大日向は同車両に助手として同乗していた無免許の亡久男に運転させた重大な過失により本件事故が発生した。
(ロ) 被告会社は、右建材運送に関しては、被告慶一を履行補助者として使用したものにほかならず、運送業務の性質上被告慶一の被用する運転手亡大日向が運送業務に従事することにつき同意がなされていたものというべきであるから、被告会社と被告慶一間において被用関係の存在があるものとして、被告慶一の被用運転手亡大日向が重大な過失に基づき発生させた不法行為について、原告真由美ら四名に対し民法七一五条に基づく損害賠償責任を負担すべきである。
3 原告会社の損害
(一) 車両損害 六六〇万六一三三円
原告会社は、一般区域貨物自動車運送事業を営む法人であるが、昭和五〇年一一月一六日福井モータース株式会社との間で、被害車両を新車にて、代金完済まで所有権を右訴外会社に留保するとの特約のもとに買い受ける旨の自動車割賦販売契約を締結した。原告会社は、昭和五三年九月三日限り右訴外会社に対し被害車両の割賦代金全額を完済したので、同車両の所有権は原告に帰属しており、このことを右訴外会社において異議なく同意している。原告会社は、被害車両を運搬用具として使用収益中、本件事故により同車両を大破され修理不能となり廃車させられたので、少くとも昭和五一年五月一五日現在の割賦代金残金に相当する六六〇万六一三三円の損害を蒙つた。
(二) 自動車取得税、重量税 合計 四七万五〇〇〇円
(三) 休車損害 二五〇万二〇〇〇円
本件事故発生日から再調達が完了した昭和五一年九月三〇日に至るまで一三九日間、一日当たり金一万八〇〇円相当の休車損害
(四) 弁護士費用 五〇万円
原告会社は、被告らが右損害の填補に応諾しないので、やむなく原告訴訟代理人との間で、福井弁護士会報酬規程に従い着手手数料・謝金を受くべき報酬契約を締結し、本訴提起に至つたものであるが、その弁護士費用として五〇万円を請求する。
4 亡武田の相続関係
亡武田の死亡により相続が開始し、原告真由美は妻として三分の一、原告雅弘、同弘和および同こずゑは子としてそれぞれ各九分の二宛の法定相続分に従い、亡武田の権利義務の一切を承継した。
5 原告真由美ら四名の損害
(一) 逸失利益 三五一二万四四一八円
亡武田は、原告会社に運転手として勤務し、本件事故前年度である昭和五〇年において二六一万五七四〇円の給与支給を得ており、本件事故当時満三四歳の健康な男子で、将来六七歳に達するまで三三年間稼働可能であつたと思料されるので、生活費三〇パーセントを控除した残余につきホフマン式計算方法により年金現価を計算すると、頭書金額となる。
(二) 葬儀費用 七〇万円
亡武田の死亡に伴ない仏壇、墓碑を各一〇万円で購入したほか、家族の筆頭者として盛大な葬儀をなした。
(三) 慰藉料 一五〇〇万円
亡武田は、本件事故当時満三四歳(昭和一六年一一月三日生)の身体頑健な男子で、原告会社所属の職業運転手として真面目に稼働し、家庭にあつては妻および幼少の子供三名を扶養養育し、一家の大黒柱として家計を維持していたものであるが、本件事故により、原告真由美ら四名はたちまち扶養義務者であり、かつ最愛の夫あるいは父親を奪われ、その精神的苦痛は筆舌し難いものである。原告真由美ら四名の精神的苦痛を慰藉するには金一五〇〇万円が相当である。
(四) 弁護士費用 二〇〇万円
原告真由美ら四名は、被告らが任意に右損害賠償債務の弁済に応じないので、やむなく原告訴訟代理人に本訴提起ならびに訴訟追行を委任し着手手数料として四〇万円、成功報酬として判決認容額の一〇パーセントの支給をなす旨の報酬契約を締結した。右費用は本件事故と相当因果関係を有する損害である。
6 損害の填補
(一) 原告真由美ら四名は、千代田火災海上保険株式会社から自賠責保険金一五〇〇万一二一〇円を受領した。
(二) 原告真由美ら四名は、昭和五一年八月二五日被告慶一から、一〇五〇万〇五九二円の弁済を受けた。
7 よつて原告会社は被告高橋、同慶一、同ミサ、同佐藤に対し、連帯して前記3の損害合計金一〇〇八万三一三三円およびこれに対する本件不法行為の日の翌日である昭和五一年五月一六日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、原告真由美は被告らに対し、連帯して前記5の損害合計金五二八二万四四一八円から前記6の損害の填補額合計金二五五〇万一八〇二円を控除した残金二七三二万二六一六円の三分の一に当たる九一〇万七五三八円および弁護士費用相当額を除く内金八四四万〇八七二円に対する本件不法行為の日の翌日である昭和五一年五月一六日から、弁護士費用相当額である内金六六万六六六六円に対する本件訴状送達の日の翌日である被告高橋については昭和五二年六月一一日から、被告慶一、同ミサ、被告会社については同年同月一二日から、被告佐藤については同年同月一四日から各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、原告雅弘、同弘和、同こずゑは被告らに対し、右残金二七三二万二六一六円の九分の二に当たる各六〇七万一六九二円および弁護士費用相当額を除く各内金五六二万七二四八円に対する本件不法行為の日の翌日である昭和五一年五月一六日から、弁護士費用相当額である各内金四四万四四四四円に対する本件訴状送達の日の翌日である被告高橋については昭和五二年六月一一日から、被告慶一、同ミサ、被告会社については同年同月一二日から、被告佐藤については同年同月一四日から各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求の原因に対する被告高橋の答弁および主張
1 請求の原因1の事実は知らない。
2 同2の事実につき、(一)の事実は知らない。(二)(イ)の事実のうち被告高橋が自動車運送事業を営む免許業者であることは認めるが、その余の事実は否認する。(二)(ロ)の事実は否認する。(二)(ハ)(ニ)の各主張は争う。(三)(四)の各事実は知らない。(五)の事実は否認する。(六)の事実は知らない。
3 同3の事実は否認する。
4 同4の事実は知らない。
5 同5の事実は否認する。
6 同6の事実は認める。
7 被告高橋は、被告慶一に対し、本件事故当時貨物自動車二台(登録番号大宮一一あ一六三四、大宮一一あ七九九)につきいわゆるナンバー貸しをした事実はあるが、それ以外に営業名義ないし商号の使用を許諾した事実、貨物自動車に高橋運送名義の使用を認めた事実、被告高橋名義で労災保険の成立届出をした事実はない。加害車両は、被告高橋においてその存在すら知らなかつたものであり、いかなる意味においても被告高橋とは関係ないものである。
三 請求の原因に対する被告慶一、同ミサの答弁および主張
1 請求の原因1の事実は認める。ただし、原告会社との関係では、損害の程度および事故の態様については知らない。
2 同2の事実につき、(一)の事実のうち亡久男が居眠り運転をしたとの事実は否認し、本件事故の発生について亡久男に過失があるとの主張、同人に損害賠償責任があるとの主張は争う。(三)(イ)の事実のうち被告慶一が被告高橋から営業名義の貸与を受けたとの事実、被告慶一が原告主張のような下請運送業務に従事していたとの事実は否認する。(三)(ハ)(ニ)、(四)(イ)(ロ)の各主張は争う。ただし、原告会社との関係では、被告慶一、同ミサが亡久男を相続したとの事実は認める。
3 同3ないし5の各事実はいずれも知らない。
4 同6の事実は認める。
5 被告慶一は、被告高橋から、本件事故当時貨物自動車二台(登録番号大宮一一あ一六三四、大宮一一あ七九九)につきいわゆるナンバー貸しを受け、闇運送を行つていたことはあるが、営業名義の貸与を受けたことはなく、右闇運送は被告慶一の責任と計算によつて独自に行つたものである。
四 請求の原因に対する被告佐藤の答弁および主張
1 請求の原因1の事実は知らない。
2 同2の事実につき、(一)ないし(四)および(六)の各事実は知らない。(五)の事実については、被告佐藤が加害車両の登録名義人であること、および同人の名義で自賠責保険契約をしていることは認めるが、その余の事実は否認する。
3 同3ないし5の各事実はいずれも知らない。
4 同6の事実は認める。
5 加害車両の登録名義を被告佐藤にしたのは次の理由によるものである。
すなわち、加害車両は昭和五〇年一〇月ごろ(ただし、契約書上は昭和五一年八月二八日)両羽日野自動車株式会社を売主、被告慶一を買主として売買契約が締結されたものであるところ、同被告を登録名義人にすると同人の住所地である羽後町ではいわゆる車庫証明が必要であつたため、右訴外会社の社員で本件売買の担当セールスであつた加賀昭太郎が、車庫証明を必要としない住所地である皆瀬村に住んでいた知合いの被告佐藤に願つて名義を借りたものである。
右の次第で、加害車両の実質的使用者は被告慶一であり、被告佐藤は被告慶一の車庫証明の必要性を省かせるため登録名義を貸したものにすぎない。被告佐藤は加害車両の売買代金の支払はもとよりのこと、その使用についても全く関与していないし、被告慶一とは一面識もないのである。かかる事情のもとでは、被告佐藤に民法七一五条所定の使用者責任の適用がないことは明らかであり、また、同被告は運行利益の享受はもちろんのこと運行支配を有していたものとはとうてい認められず、自賠法三条所定の運行供用者にも該当しないものといわざるを得ない。
五 請求の原因に対する被告会社の答弁および主張
1 請求の原因1の事実のうち、(一)(二)の事実は認めるが、その余の事実は知らない。
2 同2の事実につき、(一)ないし(五)の各事実は知らない。(六)の事実については、被告会社が自動車運送事業の営業免許を有することは認めるが、その余の事実は否認する。
3 同4、5の各事実はいずれも知らない。
4 同6の事実は認める。
5 被告会社は、自動車運送事業を営むものであるところ、昭和五一年五月一三日ころ首都圏運輸株式会社秋田出張所から被告会社に対し四トン級の小型車の手配を依頼されたが、被告会社には当該小型車がなかつたのでこれを断つたところ、重ねて知合いの業者でも紹介してくれと言われたので、時たま被告会社と取引のあつた運送免許業者である高橋運送店湯沢出張所を紹介したものにすぎず、被告会社としてはその後の運送関係に全く関与していない。したがつて被告会社は、被告慶一に対し運送下請を委託したことはなく、また同被告を履行補助者として使用したこともない。
六 被告慶一、同ミサ、同高橋の抗弁
被告慶一、同ミサは、原告真由美ら四名に対し、本件事故による損害賠償として、昭和五一年五月一六日から同年六月一五日までの間六回に分けて合計一六〇万円を支払つた。
七 原告真由美ら四名
前記六の抗弁事実は認める。
第三証拠関係〔略〕
理由
一 本件事故の発生
全当事者間において成立に争いのない甲第四ないし第二一号証によれば、昭和五一年五月一五日午前七時一五分ころ、福井県南条郡河野村具谷所在の具谷第一トンネル内において、亡久男運転の普通貨物自動車(加害車両)が南進中、前方の交通の状況を注意しないまま漫然と追越しを開始したため、折から対向してきた亡武田運転の大型貨物自動車(被害車両)と正面衝突し、その結果、被害車両が大破されたほか、加害車両の運転者亡久男および同乗者亡大日向が即死し、被害車両の運転者亡武田が中村病院に収容後死亡し、同車の同乗者野崎博が頭部外傷Ⅱ型等の傷害を受け同病院に入院するという交通事故(本件事故)が発生したこと、が認められ、右認定に反する証拠はない(ただし、原告真由美ら四名と被告慶一、同ミサとの間では右事実は争いがなく、原告会社と右被告らとの間では事故の態様および損害の程度を除いて右事実は争いがない)。
二 被告らの責任
(一) 被告高橋の責任
1 前記甲第八号証、全当事者間において成立に争いのない甲第三号証、証人大橋修の証言および被告慶一本人尋問の結果により大橋修が昭和五一年六月一五日被告慶一保有の車両(登録番号大宮一一か七九九)を撮影した写真であると認められる甲第二二号証の四、五、証人今入功、同加賀昭太郎、同高橋久子の各証言、被告高橋、同慶一各本人尋問の結果ならびに埼玉県陸運事務所(第一、第二回)、横手労働基準監督署、秋田日野自動車株式会社に対する各調査嘱託の結果(ただし、以上の各証拠中、後記措信しない部分は除く。)を総合すれば、次の事実が認められる。
被告高橋は、昭和三三年ころ小型貨物自動車運送事業の、次いで昭和三九年九月八日一般区域貨物自動車運送事業の各免許を受け、主たる事務所および営業所を埼玉県下の同被告の肩書住所地に置き、高橋運送店なる商号を使用して貨物の運送業を営んでいたもので、一般区域貨物自動車運送事業の免許を受けたころは小型車も含めて数台の車両を保有していたにすぎなかつたが、本件事故当時は一八台にのぼる車両を保有するに至つていたこと、一方、被告慶一は、秋田県下の同被告の肩書住所地において主として農業を営むかたわら、買い付けた山林から木材を切り出して他へ売り渡す材木業を営んでいたものであるが、埼玉県方面に出稼ぎに出かけた際、同県下に住む同被告の弟の斡旋により、昭和三九年ころから同四二年ころまで毎年冬季間だけ、被告高橋の経営する高橋運送店に大型貨物自動車の運転手として勤務し、貨物運送業務に従事したことがあつたこと、被告高橋は、右のような誼から、昭和四七年ころ二回にわたり相次いで被告慶一に対し、その所有にかかる中古の貨物自動車を二台宛合計四台(二トン車一台、四トン車三台)、代金は月賦払の約定で青ナンバーを付けたまま売り渡したこと、被告慶一は、当時道路運送法に基づく一般自動車運送事業の免許を受けていなかつたにもかかわらず、被告高橋から右のとおり車両を買い受けたのを奇貨として、昭和四七年一〇月ころから、秋田県横手市材木町一丁目二―三九に事務所を置き、自動車運転手として亡大日向、佐藤安夫、大沢正則の三名を雇い入れ、高橋運送店湯沢営業所なる名称を使用して、個人で独立していわゆる貨物の闇運送業を始めたこと、しかし、被告慶一は、右闇運送業を始めるにあたつて、被告高橋に対しそのことを明示的に打ち明けたことはなく、また、被告高橋の事業と紛らわしい高橋運送店湯沢営業所なる名称を使用することについて予め同被告の許諾を得たことはなかつたこと、売買された車両の青ナンバーは、被告慶一が当該車両を秋田県下に搬送したのちこれを被告高橋に返還する約束であつたが、一台の車両の青ナンバーが返還されただけで、その余の車両の青ナンバーは貸与されたままになつており、売買された車両の登録上の名義はいずれも被告高橋の名義のままであつたこと、その後、被告慶一は、いずれも両羽日野自動車株式会社から、昭和四八年八月ころ四トン車一台(登録番号秋一一さ五三〇〇)、昭和五〇年一〇月ころ本件加害車両(ただし、引渡は遅れて昭和五一年三、四月ころ)、さらに昭和五一年三、四月ころ四トン車および九・五トン車各一台をそれぞれ月賦で購入したが、最後の二台の車両が売買されたころ、右訴外会社のセールス担当者であつた加賀昭太郎が被告慶一の意を受けて被告高橋のもとを訪れ、同被告に対し右各車両につき同被告の青ナンバーの貸与方を依頼し、同被告はこれを承諾したこと、かくて、被告慶一は、本件事故当時、白ナンバー車である<1>本件加害車両(登録番号秋一一さ七三七三)および<2>四トン車(登録番号秋一一さ五三〇〇)、青ナンバー車である<3>四トン車(登録番号大宮一一あ一六三四)および<4>九・五トン車(登録番号大宮一一か七九九)、合計四台の車両を保有し、右<1><2>の白ナンバー車を前記材木業の用(木材の運搬用)に、右<3><4>の青ナンバー車を前記貨物の闇運送業の用にそれぞれ供していたこと、そして、被告慶一は、右<3><4>の青ナンバー車については、被告高橋から、登録上の同被告の名義および青ナンバーの貸与を受け、その名義・ナンバー料として<3>の車両については月額三万円、<4>の車両については月額五万円を現金書留で被告高橋のもとに送金していたうえ、毎月右各車の運転日報を作成してこれを同被告のもとに送り届けていたこと、また、右<1><2>の白ナンバー車には高橋運送店の表示はしていなかつたが、右<3><4>の青ナンバー車には運転台屋根に取り付けられた硝子ケース付看板(通称「行灯」呼ばれるもの)や運転席ドアーに高橋運送ないし高橋運送店の表示をしていたこと、右<3><4>の青ナンバー車にかかる税金や修理費は、被告慶一がこれを一切負担し、その支払をしていたこと、被告高橋は、自己の経営する運送事業の経理事務や配車関係など具体的な業務については妻の高橋久子に任せており、同人は昭和四七年ころから本件事故時までの間、約二、三回程度、被告慶一の被用運転手からの電話連絡に応じて、同被告のため埼玉県方面から秋田県方面への運送の斡旋をしてやつたことがあること、被告高橋は、遅くとも前記<3><4>の青ナンバー車について名義・ナンバー車について名義・ナンバー料の支払を受けるようになつてからは、被告慶一がいわゆる貨物の闇運送業を営んでいることを承知するようになつたが、右青ナンバー車の運転日報の送付を受けていたほかは、被告慶一の営む運送事業について具体的な営業内容の報告を求めたこともなければ、これを指揮監督していたようなこともなく、また利益の分配に与つたこともなかつたこと、被告慶一は、本件事故当時本件貨物の運送を請負うにあたり、青ナンバー車である前記<3><4>の車両がいずれも昭和五一年五月一三、四日ころ他の運送目的のため東京方面へ出発する予定になつていて、空車の状態になかつたため、今まで貨物の運送の用に供したことのない白ナンバー車である加害車両を本件貨物の運送の用に供したものであること、
以上のとおり認められ、右認定に反する証人大橋修の証言、ならびに証人今入功の証言中、右認定に反する部分は前掲各証拠に照らして容易に措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
2 右認定事実によると、被告高橋は、本件事故当時、高橋運送店なる商号で一般区域貨物自動車運送事業を営んでいたものであるところ、かつて車両を売り渡した相手である被告慶一が貨物の闇運送業を営むことを知りながら、同被告に対し二台の車両につき登録上の名義や青ナンバーを貸与して同被告から右名義・ナンバー料の支払を受けるとともに当該車両の運転日報の送付を受けていたほか、被告高橋の妻を通じて被告慶一に対し過去二、三回程度埼玉県方面から秋田方面への貨物の運送を斡旋したことがあるなど、被告高橋と被告慶一との間はかなり深い関係で結ばれていたことが認められるけれども、他方、被告慶一が営んでいた貨物の闇運送業は被告高橋の右運送事業とは全く独立した別個の営業であつて、被告慶一の独自の計算に基づいて営まれていたものであり、被告高橋において被告慶一に対し高橋運送店湯沢営業所なる名義の使用を許諾した事実はなく、また被告慶一の運送業についてこれを指揮監督したり利益の分配に与つていた事実はなかつたこと、本件事故を惹起した加害車両は、被告高橋が登録上の名義や青ナンバーを貸与していた車両ではなく、被告慶一が運送業以外の材木業の用に供していた自己保有の白ナンバー車であつて、本件事故当時たまたま青ナンバー車の都合が悪かつたため白ナンバー車を運送業の用に供したものであること、が認められる。
このような事情のもとにおいては、被告高橋は、被告慶一に対し貨物の闇運送業をなすにつき自己の名義を貸与していたものとは認め難く、したがつて原告会社に対し、いわゆる使用者として民法七一五条に基づく損害賠償責任を負担すべきものではなく、また、被告高橋は、加害車両につき運行利益と運行支配を享受していたものとも認められないので、原告真由美ら四名に対し、いわゆる運行供用者として自賠法三条に基づく損害賠償責任を負担すべきものでもないと考える。
(二) 被告慶一の責任
被告慶一は、前記(一)1認定のとおり、本件事故当時、一般自動車運送事業の免許を受けないで、高橋運送店湯沢営業所なる名称を使用し、自動車運転手として亡大日向ほか二名を雇傭していわゆる貨物の闇運送業を営んでいたものであることが認められる。
ところで、前記甲第四ないし第九号証、同第一一、第一二号証ならびに被告慶一本人尋問の結果によれば、亡久男は、被告慶一、同ミサの長男で、本件事故当時、湯沢北高等学校夜間定時制に通学していた満一七歳の高校生であり、昼間は主に父被告慶一の営む材木業の手伝いをしていたものであること、亡久男は、自動車の運転に関しては、未だ運転免許を有しておらず、自動車運転者としての基本的な知識・経験が欠乏しており運転技術も未熟であつたこと、が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
右認定事実に照らして考えると、本件事故当時、加害車両の運転者であつた亡大日向としては、車両の交通量の多い国道上において運転免許を有しておらず、しかも自動車運転の未熟な亡久男に同車両の運転をさせれば、早晩交通事故を惹起する危険のあることを予見しえたものであり、かつ、これを回避することも可能であつたものと推認することができ、したがつて亡大日向としては、亡久男に加害車両の運転をさせてはならない注意義務があつたのに、これを怠り、漫然亡久男と運転を交代し同人に同車両の運転をさせた結果、同人がトンネル内で無謀な追越し運転を敢行し本件事故に至つたものというべく、本件事故の発生につき亡大日向に過失があることは否定できないものと考える。
したがつて、被告慶一は原告らに対し、いわゆる使用者として民法七一五条に基づく損害賠償責任を負担すべきである。
(三) 被告ミサの責任
1 原告らは、被告ミサは被告慶一と共に亡久男の監督義務者であるが、本件事故のとき、亡久男を湯沢市から徳島市まで一二〇〇キロメートルの区間、亡大日向運転の貨物自動車の助手として同車に同乗させて無免許運転を助長し、道路交通上の危険を発生させた監督義務違反があり、右監督義務違反と本件事故発生との間には相当因果関係が存在する、と主張する。
しかし、本件全証拠によつても、被告ミサにおいて、本件事故の発生につき原告主張のように亡久男に対し、同人の無免許運転を助長し道路交通上の危険を発生させた監督義務違反があるということを認めるに足りず、原告の右主張は採用しえない。
2 前記甲第四ないし第七号証、同第一一、第一二号証によれば、亡久男は、本件事故当時、適正進路を保持して進路の前方の安全を確認しながら進行すべき注意義務があつたのに、これを怠り、対向車線に進入して進行した過失により、折から対抗してきた被害車両と正面衝突し本件事故を惹起したものであつて、本件事故の発生につき同人に過失が存在することは明らかである。したがつて、亡久男は、民法七〇九条に基づき、原告らが本件事故により蒙つた損害を賠償する責任がある。
ところが、前記甲第五、第六、第八、第九、第一四、第一七号証によれば、亡久男は、本件事故により外傷性胸部内臓損傷を受け、事故現場において即死したこと、被告慶一、同ミサは長男亡久男の両親として同人の権利義務を法定相続分に従つて二分の一宛相続したこと、が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
したがつて、被告ミサは、亡久男の相続人として同人の原告らに対する損害賠償債務のうち二分の一を負担する義務があるというべきである。
(四) 被告佐藤の責任
原告らは、被告佐藤は加害車両の登録名義人であるので同車両の所有者であると推定されるところ、同被告は自賠責保険契約をなして加害車両を被告慶一に貸与し、闇運送の幇助をなしていた、と主張し、また、被告佐藤は加害車両を自己のために運行の用に供していた、と主張する。
被告佐藤が加害車両の登録名義人であること、同被告の名義で自賠責保険契約をしていることは原告らと同被告間において争いがないが、右当事者間に争いのない事実を除くその余の原告主張事実は、本件全証拠によつてもこれを認めるに足りない。
かえつて、前記甲第三号証、証人加賀昭太郎の証言およびこれにより真正に成立したものと認められる丙第一ないし第四号証、証人今入功の証言、被告佐藤、同慶一各本人尋問の結果によれば、被告慶一は、昭和五〇年一〇月ころ両羽日野自動車株式会社との間で、同会社から加害車両を買い受ける売買契約を締結したが、同被告の住所地である秋田県雄勝郡羽後町ではいわゆる車庫証明が必要であつたところ、同被告は他に車両を保有し保管場所の余地がなく車庫証明を得ることが困難であつたこと、そこで、右訴外会社の社員(セールスマン)で右売買契約を担当した加賀昭太郎は、車両の売買取引を通じて懇意の間柄にあつた佐藤福松が車庫証明を必要としない住所地である同県同郡皆瀬村に住んでいるのに目をつけ、同人に対し事情を打ち明けて加害車両につき登録名義の貸与方を申し入れたところ同人から、自己の車両と混同するおそれがあるので代わりにその妻の被告佐藤の名義にしたらどうかと言われたため、同被告の承諾を得て、同年一〇月三一日加害車両の使用者につき被告佐藤の名義で登録したこと、被告佐藤は、右のとおり右訴外会社の社員である加賀昭太郎から依頼され、車庫証明の必要性を省かせるため無償で登録名義のみの使用を承諾したにすぎず、加害車両の売買代金の支払はもとより同車両の使用についても全く関与しておらず、同車両の買主であり実質的使用者であつた被告慶一とは一面識もなかつたこと、が認められ、右認定に反する前記甲第八号証の供述記載部分は措信せず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
右のとおり、被告佐藤は、加害車両の登録名義人であつたとはいえ、車庫証明の必要性を省かせるためセールスマンから依頼され、これに応じて名義のみの使用を承諾したにすぎず、同車両の所有者であるとの推定は覆されており、被告佐藤が被告慶一に対して加害車両を貸与して闇運送を幇助したとの事実はとうてい認められないから、被告佐藤は原告会社に対し民法七一五条一項に基づく損害賠償責任を負わないものというべく、また、被告佐藤が自己のために加害車両を運行の用に供したとの事実も認められないので、同被告は原告真由美ら四名に対し自賠法三条に基づく損害賠償責任を負わないものというべきである。
(五) 被告会社の責任
原告真由美ら四名は、被告会社は自動車運送事業の営業名義を有する免許業者であるが、平野井木材から運送申込みを受けた建材約五トンの運送をなすに際し、被告慶一が闇運送業者であることを熟知しながら、同被告に右運送の下請を委託した、と主張する。
しかしながら、原告の右主張事実(ただし、被告会社が自動車運送事業の営業名義を有する免許業者であるとの部分を除く。)は、本件全証拠によつても、これを認めるに足りない。
かえつて、証人遠藤重吉の証言によれば、被告会社は、一般区域貨物自動車運送事業等を目的とする会社であるところ、昭和五一年五月一二日ころ首都圏運輸株式会社秋田出張所から四トン級の小型車分の荷物の運送を依頼されたが、被告会社には当該小型車がなかつたのでこれを断つたこと、ところが、同出張所から右運送を引き受けてくれる知合いの業者を紹介して欲しいと依頼されたため、被告会社は、同年一月ころから取引関係のあつた高橋運送店湯沢営業所に問い合わせたところ、同店ではこれを引き受けるとの返事があつたので、同店に対し、首都圏運輸株式会社秋田出張所に行つて詳細を聞いてくれと指示したこと、そして、右秋田出張所に対し高橋運送店湯沢営業所が運送を引き受けてくれた旨を連絡したこと、しかし、被告会社は、高橋運送店湯沢営業所の経営者やその営業の実態についてはよく知らず、右運送に関しては首都圏運輸株式会社秋田出張所の依頼に応じて高橋運送店湯沢営業所を紹介したにとどまり、それ以上に関与していなかつたこと、が認められる。
右によれば、被告会社は、原告真由美ら四名に対し、本件事故について損害賠償責任を負ういわれはないといわなければならない。
三 原告らの損害
(一) 原告会社の損害
1 車両損害 四三一万二六五〇円
前記甲第二〇号証、原告会社と被告慶一、同ミサ間において成立に争いのない甲第二号証、原告会社代表者本人尋問の結果およびこれにより真正に成立したものと認められる甲第一号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第二五号証、証人前川真一路、同大橋修の各証言によれば、原告会社は、一般区域貨物自動車運送事業を営んでいるものであるところ、昭和五〇年一一月一六日福井モータース株式会社との間で、新車である被害車両(登録番号福井一一か一二八四、三菱ふそう五〇年式普通貨物自動車)を現金価格五六五万円、割賦手数料一三四万六五三三円、以上を合計した割賦販売価格(自動車代金)六九九万六五三三円、代金支払は三六回に分割して昭和五一年三月から毎月末日限り一九万五二〇〇円宛(ただし、最終回は一六万四五三三円)支払う、同車の所有権は福井モータース株式会社に留保し、原告会社が契約による自動車代金等の債務を完済したときに同社に移転するとの特約のもとに買い受ける旨の自動車割賦販売契約を締結し、昭和五一年一一月二五日ころ同車の引渡を受けて本件事故当日まで約半年間右運送事業のために使用収益していたものであること、ところが、被害車両は、本件事故により、修理不能の程度に大破され同年八月五日廃車により抹消登録のやむなきに至つたこと、原告会社は、本件事故当時、支払期日の到来した割賦代金合計三九万〇四〇〇円のみ支払い、残額六六〇万六一三三円は未払であつたが、本件事故後も福井モータース株式会社に対し割賦代金の支払を続け、昭和五三年九月三日限り割賦代金全額を完済し、当事者間では被害車両の滅失にもかかわらず同日をもつて同車両の所有権が完全に原告会社に移転したことを確認していること、原告会社は、昭和五一年末ころ自動車解体業者である中次商店に対し、被害車両をスクラツプとして一〇万円で売却したこと、以上の事実が認められ、証人前川真一路、同大橋修の各証言中、右認定に反する部分は前掲各証拠に照らしてたやすく措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
右認定事実によれば、本件事故当時、被害車両の所有権は売主に留保されてはいたけれども、原告会社は、割賦販売契約による被害車両の買主として、被告らに対し同車両の滅失による損害の賠償請求権を有するものと認めるのが相当である。
そして、被害車両の滅失による損害額の算定方法については、種々の方法が存在するが、本件においては、購入価格から税法の規定する固定資産の減価償却の計算方法のうち定率法により減価償却を行う方法によるのが相当と考えられるところ、昭和四〇年大蔵省令第一五号「減価償却資産の耐用年数等に関する省令」によれば、被害車両の耐用年数は四年であり、その場合の定率法の償却率は四三・八パーセントであるので、被害車両の購入価格である五六五万円から右償却率の二分の一である二一・九パーセント減価償却をした四四一万二六五〇円をもつて同車両の本件事故当時の時価とみ、これから同事故後の残存価格(スクラツプ価格)一〇万円を控除した四三一万二六五〇円をもつて被害車両の滅失による損害額と認めるのが相当である。
したがつて、原告会社は、本件事故により、被害車両の滅失による損害として四三一万二六五〇円の損害を蒙つたものというべきである。
2 自動車取得税、重量税
証人前川真一路の証言およびこれにより原本が存在し、かつそれが真正に成立したものと認められる甲第二三号証ならびに原告会社代表者本人尋問の結果によれば、原告会社は、昭和五〇年一一月一六日福井モータース株式会社から被害車両を買い受けたことに伴ない、自動車取得税として一五万二二八〇円、重量税として九万円、合計二四万二二八〇円の納税義務を負い、後日これを立替払した右訴外会社に対し右金額を支払つたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
しかし、原告会社が負担した右税金額は、その性質上、本件事故による損害とは認め難いと考える。
3 休車損害 二五〇万二〇〇〇円
証人大橋修、同前川真一路の各証言および原告会社代表者本人尋問の結果によれば、原告会社は、本件事故当時、被害車両を含む数台の車両を使用して一般区域貨物自動車運送事業を営んでいたものであるところ、本件事故により、被害車両を修理不能の程度に毀損され、以後使用不能となつたこと、業界では約六か月の使用期間を経た被害車両と同種同等の中古車を買い求めることはきわめて困難であり、新車を注文してもその引渡を受けるまでには少なくとも二か月ないし三か月を必要とする状況にあつたこと、原告会社は、被害車両と同種同等の車両を探したが見付からず、被告慶一らも代替車を提供してくれなかつたため、やむなく新車を注文し、昭和五一年九月三〇日に至つて漸く被害車両に代わる新車を再調達することができたこと、しかして、原告会社は、本件事故が発生した日から右再調達が完了した日まで一三九日間、被害車両を使用して営業収益をあげることができなかつたこと、もし被害車両が本件事故により毀損されていなければ、燃料代・人件費・減価償却費等の諸経費を控除しても、少なくとも一日当たり平均一万八〇〇〇円相当の純収益をあげ得る見込みがあつたこと、が認められ、証人大橋修の証言中、右認定に反する部分は前掲各証拠に照らして措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
右認定事実によると、原告会社は、本件事故により、休車損害として一日当たり一万八〇〇〇円の一三九日分、合計二五〇万二〇〇〇円の損害を蒙つたものと認められる。
4 弁護士費用 五〇万円
弁論の全趣旨によれば、原告会社は、被告会社を除くその余の被告らから本件損害賠償の支払を任意に受けることができず、本件訴訟の提起追行を弁護士である右原告訴訟代理人に委任せざるを得なかつたことが認められるところ、本件事案の内容、審理の経過、認容額等に照らし、原告会社が被告慶一、同ミサに対し本件事故による損害として賠償を求めることができる額は五〇万円と認めるのが相当である。
5 以上1ないし4の損害を合計すると、原告会社の損害は七三一万四六五〇円となる。
(二) 原告真由美ら四名の損害
1 逸失利益 三五一二万五一五〇円
証人中村政一の証言、原告真由美本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨によれば、亡武田は、本件事故当時満三四歳の健康な男子で、昭和五一年二月中旬ころから原告会社に自動車運転手として勤務し、それ以前は武生市内の町本商事株式会社に二、三年間自動車運転手として勤務していたこと、亡武田の収入は、右訴外会社、原告会社を通じてほとんど差異がなくほぼ同額であつたところ、本件事故前年の昭和五〇年に右訴外会社から支給を受けた年収額は二六一万五七四〇円であつたこと、が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。そして、亡武田は、本件事故に遭遇していなければ満六七歳に達するまで三三年間就労可能であり、その間継続して右程度の年収をあげ得るものと推認されるので、亡武田本人の生活費を三〇パーセント控除するのを相当として、同人の逸失利益につきホフマン式計算方法により本件事故当時の現価を求めると、次の算式のとおり三五一二万五一五〇円(ただし一円未満切捨)となる。
2,615,740×(1-0.3)×19.1834=35,125,150
原告真由美ら四名と被告慶一、同ミサ間ではその方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき甲第二四号証ならびに原告真由美本人尋問の結果によれば、亡武田の死亡により、原告真由美は同人の妻として三分の一、原告雅弘、同弘和および同こずゑは同人の子としてそれぞれ各九分の二の法定相続分に従い、亡武田の権利義務を承継したことが認められるので、原告真由美ら四名は、右法定相続分の割合に応じて、亡武田の被告慶一、同ミサに対する右逸失利益の損害賠償請求権を取得したことになる。
2 葬儀費用 六〇万円
証人中村政一の証言および原告真由美本人尋問の結果によれば、原告真由美ら四名は、一家の支柱であつた亡武田の死亡に伴ない葬儀を執行し、その費用一切として合計約一二〇万円の支払をしたこと、また、仏壇を代金二五万円で購入し、墓地を三万円で借り上げ、墓碑を四九万円かけて建立したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
右費用のうち葬儀費として五〇万円、仏壇購入費、墓碑建立費として各五万円、合計六〇万円の限度で本件事故による損害と認めるのが相当である。
3 慰藉料 一二〇〇万円
前記甲第二四号証、証人中村政一の証言ならびに原告真由美本人尋問の結果によれば、亡武田は、昭和三七年一〇月ころ原告真由美と事実上結婚し、昭和四七年一二月一三日日本に帰化したのち同年同月二一日同原告と婚姻届出をし、その間に昭和四二年九月六日長男原告雅弘、同四三年一一月四日二男原告弘和、同四六年六月二二日長女原告こずゑをもうけたこと、亡武田は、本件事故当時満三四歳の健康な働らき盛りの男子で、原告真由美と事実上結婚して以後個人商店や会社等に自動車運転手として勤務し、昭和五一年二月中旬ころから原告会社に自動車運転手として真面目に勤務していたこと、亡武田は、家庭にあつては妻原告真由美と円満な夫婦生活を送り、また、子煩脳な父親として小学校に通う三人の子原告雅弘ほか二名を扶養養育し、一家の大黒柱として家計を維持していたものであること、しかるに、原告真由美ら四名は、本件事故による亡武田の突然の死去により、一家の大黒柱であつた夫もしくは父親を失い、特に原告真由美は生活費を得るため夜間スナツクに勤務する生活を余儀なくされ、多大の精神的苦痛を受けたこと、が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
右認定事実のほか、本件事故の態様その他諸般の事情に照らすと、原告真由美ら四名の右精神的苦痛を慰藉するには総額金一二〇〇万円をもつて相当と認める。
4 損害の填補
原告真由美ら四名が本件事故による損害の填補として千代田火災海上保険株式会社から自賠責保険金一五〇〇万一二一〇円、昭和五一年八月二五日被告慶一から一〇五〇万〇五九二円、さらに同年五月一六日から同年六月一五日までの間六回に分けて合計一六〇万円、総合計二七一〇万一八〇二円の支払を受けたことは、原告真由美ら四名と被告慶一、同ミサとの間において争いがない。
そこで、前記1ないし3の各損害合計四七七二万五一五〇円から右損害の填補額合計二七一〇万一八〇二円を控除すると、残額は二〇六二万三三四八円となる。
5 弁護士費用 一〇〇万円
原告真由美本人尋問の結果および弁論の全趣旨によれば、原告真由美ら四名は、被告らから本件損害賠償の支払を任意に受けることができず、本件訴訟の提起追行を弁護士である右原告ら訴訟代理人に委任せざるを得なかつたことが認められるところ、本件事案の内容、審理の経過、認容額等に照らし、右原告らが被告慶一、同ミサに対し本件事故による損害として賠償を求めることができる額は総額一〇〇万円と認めるのが相当である。
6 前記4の損害残額と前記5の弁護士費用を合計すると、原告真由美ら四名の損害総額は二一六二万三三四八円となる。そして、原告真由美ら四名の各人の損害額は、前記2・3・5の各損害額を前記法定相続分の割合に応じて按分して計算すると、原告真由美につき右損害総額の三分の一に当たる七二〇万七七八二円(うち弁護士費用は三三万三三三三円、ただし一円未満切捨)、原告雅弘、同弘和、同こずゑにつきそれぞれ右損害総額の九分の二に当たる各四八〇万五一八八円(うち弁護士費用は各二二万二二二二円、ただし一円未満切捨)となる。
四 結論
以上によれば、被告慶一は原告会社に対し、前記損害金七三一万四六五〇円および内金六八一万四六五〇円(弁護士費用を除いたもの)に対する本件不法行為後である昭和五一年五月一六日から、内金五〇万円(弁護士費用)に対する本判決言渡しの日の翌日から各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、被告ミサは被告慶一と連帯して原告に対し、被告慶一が支払うべき右金員の半額に当たる金三六五万七三二五円および内金三四〇万七三二五円に対する昭和五一年五月一六日から、内金二五万円に対する本判決言渡しの日の翌日から各完済まで右同割合による遅延損害金を支払う義務がある。
また、被告慶一は、原告真由美に対し、金七二〇万七七八二円および内金六八七万四四四九円(弁護士費用を除いたもの)に対する本件不法行為後である昭和五一年五月一六日から、内金三三万三三三三円(弁護士費用)に対する本判決言渡しの日の翌日から各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告雅弘、同弘和、同こずゑに対し、各四八〇万五一八八円および各内金四五八万二九六六円(弁護士費用を除いたもの)に対する本件不法行為後である昭和五一年五月一六日から、各内金二二万二二二二円(弁護士費用)に対する本判決言渡しの日の翌日から各完済まで右同割合による遅延損害金を支払う義務があり、また、被告ミサは被告慶一と連帯して、原告真由美に対し、被告慶一が支払うべき右金員の半額に当たる金三六〇万三八九一円および内金三四三万七二二四円(ただし、一円未満切捨)に対する昭和五一年五月一六日から、内金一六万六六六六円(ただし、一円未満切捨)に対する本判決言渡しの日の翌日から各完済まで右同割合による遅延損害金を支払う義務があり、同じく原告雅弘、同弘和、同こずゑに対し、各金二四〇万二五九四円および各内金二二九万一四八三円に対する昭和五一年五月一六日から、各内金一一万一一一一円に対する本判決言渡しの日の翌日から各完済まで右同割合による遅延損害金を支払う義務がある。
よつて原告らの本訴請求は、被告慶一、同ミサに対し右の金員の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 竹原俊一)